普通自動車の運転歴60年間の思い出について投稿します
私が高校卒業した、1964年、春(東京五輪開催された年)
当時18才の春、普通自動車の運転免許を
前橋市天川自動車教習所で、私は、取得しました
教習所まで、マイクロバスで送迎して頂き、近所の仲間5人で
運転免許取得・ 20才、初ドライブ先は、神奈川県三浦半島の最先端「城ヶ島」
までの長距離ドライブ 58年前、当時20才・怖いもの知らず、三浦半島の
防波堤の上をを走行中に突然、防波堤が消えて、急ブレークかけて 助かりました
当時は、関越の高速道路も未整備 国道17号線の一般道を
深夜走行 帰路、横浜ドリームランド
に寄り道した記憶あった、初ドライブ
あれからもうすぐ58年 今日は認知症試験を
君津の自動車教習所で受験 高齢者講習8人中2名の高齢者が
追試験となり、後日、必要事務するよう指導受けました
これが、高齢者の現実です
高齢者にとっても、暮らしに欠かせない運転免許・マイカー無しでは
大幅に暮らしに制限受ける現実を知らされました
私は、図書館で借用した認知機能検査の本を借用して
事前に予習していったお陰で16問中 15問正解することが出来て、
今回は
認知症クリアー出来ましたが・・・・3年後
どのような状況に私はなるのか、最後の免許更新となるのか
判りません・ 3年後には、福祉有償運転の仕事が、
安全の為に卒業していると思います
最初のマイカーの購入は、29才、車種はトヨタの
カローラクーペの中古車でした
最初の新車購入は、結婚直後で、車種は日産のサニーで10年間走行
アクアラインも館山道も当時は未開通・自宅から前橋の実家まで
幼い子供と妻を乗せて 帰省のたびに、野田・柏・埼玉の岩槻ICから
東北道利用
東北道の館林ICから一般道を再度走行、群馬の太田・伊勢崎経由で
何十回も何十回も、帰省時には大部分を一般道経由で
帰省ドライブ経験しました
年数回、妻も子供も黙って後部座席で耐えてくれました
実家に帰ると、子供と妻は妻の実家に泊まって
千葉に戻るときに妻の実家で再度合流・そんなことを何十回も何十回も
経験しました
マイカのトランクには実家から頂いた野菜積込
帰省繰り返しました
兄弟とのハワイ旅行・韓国・富山・岐阜への家屋旅行・
親戚の結婚式やお葬式・お見舞い、盆・正月・春休み夏休み
家族で40年間で約120回は、マイカー帰省私たち家族は、
繰り返しました
アクアラインが開通以来、混雑時には
首都高速の山手トンネル・関越・川越・所沢経由でも
何十回と利用しました
辛い思い出は、サニーの新車で、日光ドライブ中と
首都高運転中にマイカーのトラブルに遭遇
そして、トヨタカローラの新車10年・カルデイナ2000CCの新車
10年・20万キロ走行してから廃車
その後、ホンダのエアウエーブ中古車(120万)で5年 トヨタのスペード
(150万円)で5年目・現在も走行中
2019年2月に実家の帰省中に、私は、一過性脳梗塞になり、
約7日入院幸い後遺症なくて、済みましたが、2019年以降は
長距離運転回避するよう医師から指導受けて
帰省時でのマイカー運転取りやめて5年目に突入
(アクアライン、高速バス・新幹線での帰省、5年間で約15回
16才、高校2年生の時は、スクーター
で新前橋近くの、群馬県自動車教習所で「二輪車」の運転免許取得・
高校時代は時々、50CCスーパーカブでも通学、何度も何度も通学には
バイク使用禁止の指導 受けました
99%は、自転車通学 大部分の女子生徒だけは
バス通学でした 自動車運転は 殆ど毎日経験中ですが・・・・・
あと3年間は自宅周辺のみのマイカー運転に専念
マイカー手放す暮らしを想定すると、不安だらけの毎日です
福祉有償運送車両の運転を今、実践中の私ですが、今後は
立場が逆転して私が、通院等で、タクシー代わりに、福祉有償車両を利用することに
なり、そのことを想定する「現実が身近に迫ってくることを」、痛感する毎日です